トークセッションを終えて

トークセッション『新春座談会 このコンピュータ書がすごい! 2009年版』を終えて思い起こしたのは、『どすこい出版流通』の最後のエッセイ、「メディアとしての「出版業界」」でした。

 出版業界はあまたある業界のなかで、業界自体がひとつのメディアとして機能し続けているというただ一点で異例である。出版社、書店、取次、そして著者や読者までもがこの壮大なメディアの構成者であり、そのメディアのなかで、自らのパフォーマンスに腐心し、成功に酔いしれ、そして失敗を繰り返す。見ようによっては、なかなかよくできた小宇宙だ。書店はその小宇宙にあって、もっともわかりやすい劇場性を持つ。なかなかよくできた仕掛けなのだ。ベストセラーが出れば店の一等地にドッサリと本が山積みにされるのも、もちろんそれを大量に売って得られる利益も重要だが(じつはそれほどの儲けはない)、話題の本が店頭で目立ってないことはメディアとして機能していないということになり、利益の多寡を超えて許されないことなのだ。穏やかな緊張感に満ちたいい業界ではないか。
 出版業界は現在長期の低迷期にある。放送やインターネットなどの膨張するニューメディアにタジタジの状態である。加えて、ネット書店の台頭はその自己完結型システムにより、古き良き村社会の存続を脅かしているようにさえ見える。しかし、よく考えてほしい。これだけの共同体がこれほどの永きにわたって存続してこられたのは偶然ではない。それは「本」という媒体が、この村と書店という劇場に、「いまさら語るのも憚られる」ほどに馴染んでいるものなのだということ、さまざまな媒体やネットワークがいかに発展しようと、「本」という腰の据わった媒体は、その本質に置いて他に譲ることはあり得ないということとに「大人」としての自信を持ち続けてよいはずだ。
(『メディアとしての「出版業界」』(2007年2月)、田中達治『どすこい出版流通』所収)

この手の企画をやるだけなら、ネットだけで行うのも十分可能だったでしょう。むしろ、情報の伝達やそのコスト、そして購買への動線だけを考えるなら、ネットの方がよい面もあったかもしれません。
けれども、出版業界というメディアが存在する状況を踏まえれば、ネットに閉じたやり方よりも、やはり本に囲まれた空間(しかも「もっともわかりやすい劇場性を持つ」空間)のなかで、わざわざ読者を物理的に集めて、その前で語るという方法が、圧倒的に正しかったと思います。少なくとも、単に著者や読者として関わるときとは違った、「壮大なメディア」の手ごたえを感じることができました。もっとも、そのようなことができる場所(都市/書店)は限られているわけで、それこそ池袋のジュンク堂はかなり特殊な場所でもあるのかもしれませんが。

ある意味、「コンピュータ書」というのは、特異な位置にあると思います。コンピュータとネットワークの発達は、出版業界から見れば、巨大な「敵対勢力」のように見えるのは間違いないでしょう。にも関わらず、そのコンピュータとネットワークに携わる人々にとって、欠かすことのできない情報のライフラインとして、「コンピュータ書」が現状機能しています。少なくともこの国の情報産業、そしてコンピュータとネットワーク関連技術は、出版のエコシステムが機能不全に陥れば、無傷でいられるとは思えません。一種「獅子身中の虫」にも似ています。

その一方で、このような特異な位置にあるということは、上手く利用すると、コンピュータと書籍に関する様々な試みを行うことも可能になるということでもあります。実際、今回のイベントでも、オライリーさんや技評さんが動画撮影や配信を試みたりもしていました。このような試行錯誤の先に、コンピュータと書籍とのあるべき関係の未来があるはず、という気がしています。……ちょっと大げさに言えば、そのようなことを考えさせられたトークセッションでした。

どすこい 出版流通

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