田中ロミオ『AURA』があまりに素晴らしくて涙が出た件

「メンズかよあれ!」「おお、光牙殿が!」「魔竜院頼むぅ!」「なんと強大な波動! これが
やつの真の実力か!」「天帝のお導きがありますように!」「なんと! 最終戦闘形態だという
のか!」「そなたの血は我がもの、勝手に死ぬことは許さぬぞ!」

 ――田中ロミオ『AURA』より

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

いやはや、ようやく読みましたよ。池袋のパキスタン料理屋で山のようなビリヤニを食べつつ泣きながら一気に読みました(ちょっと嘘)。

……これ、きっとある種のひとには直撃弾だろうし、そこまでいかなくても読んでて辛い人は多いんでしょうね……。昔、某大推理研で「『おたくのビデオ』上映会」をやって、上映終了後には気まずい空気が流れ、数名立ち直れなかった人も出た、という話を思い出しましたよ。

作中では妄想戦士、いわゆる邪気眼の描き方は上手すぎます。クラスの人間関係の図式化もさすが。だけど、意匠は突飛なものに見せつつも、その基調は作者がうたう「学園ラブコメ」というよりも、状況に馴染めない、けれど必死で生きていこうとする、不器用な主人公達の「青春小説」になっています。

「袋小路なんだ。お前の目指す道。どこにも行けないんだ」
「でも、私、世の中が、きらい」

 ――田中ロミオ『AURA』より

ライトノベルの役割の一つとして、ある種の「痛み」を描いて、その痛みを小説を通じて共感に変えること、そしてそこからの回復を描いて、絶望から希望をつなぐこと、あるいは二度と取り戻すことのできない消失を描いて、その絶望を分かち合うことがあると思います。例えばそれは『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』だったり、あるいは『文学少女』シリーズだったり、個人的な趣味では竹岡葉月『マイフェアSISTER』だったり、もっと個人的な趣味では浩祥まきこ『やさしい雨』だったり。そういう物語の現在形としてみれば、ある意味ではきわめて「王道」を行く一作。いや、マイナーで裏道寄りな王道だけど。

とはいえ。こういうお話の本質は細部に宿るのも事実で、そういう意味ではこの意匠で頭からお尻までスマートに書ききれる田中ロミオは作者として適任だったのでしょう。

あたしはきっとこれからも弱いだろうけれど。
でも自分の力で進んでいくから。
『世の中何が起きるかわからない』
……誰かがそう言っていた、この現実の世界。
あたしは、生きていく。
生きていくのだ。

 ――浩祥まきこ『ささやかな奇跡』(『やさしい雨』所収)より

良かったです。うん。