それほど愛してはいない、but I should say that I love you again and again.

メモ。

孤独
嫉妬
残虐
そして愛

すべての獣より劣る
人間の人間らしさを
私は代表する
(片桐麻美『そして愛』)
i go to loveconf 2008 and every speaker talks about ruby! #rubyconf 

(http://twitter.com/fmedlin/statuses/996297194
via. http://lylejohnson.name/blog/2008/11/09/rubyconf-2008-wrap-up/)

日本語の文脈での「愛」とか「ラブ」とかと、英語の文脈での「love」は意味が違いすぎると思う。

率直に言うと、日本語で「愛」を連呼されると、正直、違和感を感じることが多い。気恥ずかしさと嘘くささ。今ひとつ信じきれない感じが残ることが少なくない(話者と文脈にもよるのだけれど。少なくとも私には難しい)。異性を口説く時ならともかく、普通の日本語で愛を語って許されるのは鈴木祥子くらいだと思う(<意味不明ですみません……)。

と、ふだんは思っているのに、気がつくと自分のプレゼンで何度も「love」を使っていたことに後で気づき、愕然とした。英語では、なんとなく「love」を使わなければいけない義務感のようなものを感じていたのだった、かもしれない。

たぶん、「love」は「never want to miss」くらいの意味で使っていたのだと思う。かげがえのないもの、と思うこと。プレゼンのテーマの半分は、かけがえのない人を失ったことについての報告と、私たちがみなRubyを使っているのであれば、少なくともその限りにおいて、かけがえのない者として存在しうることについての認識の共有だった(ちなみにconclusionの中で起承転結の転と結を持ってきたのは凝り気味だが仕方がない。あとnet met everをnever metにすり替えるのは転調の印のつもりで、短い時間で厚みを出してみたつもり)。

それを「愛」と呼ぶのは、やはり違うような気がする。

英語はよくわからない。