「闇」の中からの言葉をみんなに向かって語りたいのだけれどとても伝わるとは思えない

メモ。XP祭りとか、イベントに参加しながら思ったこと。

イベントでふつうにしゃべろうとすると、前向きな言葉と語り口で語ることが要求される。いやまあ、イベントの種類にもよるのかもしれないけれど、オープンソース系のイベントでは、ポジティブな言葉を語り、それに聴衆の共感、あるいは期待を重ね合わせることによって場を作るのがセオリーだろう。

もちろん、それはよいことだ。共感の場によって、前向きな活力を生み出すことは何よりも大切。現実は厳しく、そこに立ち向かうためには、前向きなパッションを持つ必要がある(後ろ向きのパッションのみによって駆動される力は他者に対して行使するべきではない)。

けれども、それはある特定の方向性の力でしかない。その方向性では掬いだせない/救い出せないものがあったり、そこに共感できない層が存在する。少なくとも、他の人はいざしらず、私自身の中にそれがある。共鳴しきれない何か。

(ここで言う「闇」とは、「泥」とかみたいな主にネガティブな言葉ではなくって、谷山浩子が歌うところの「光の中で見えないものが 闇の中に浮かんで見える」(『まっくら森の歌』)とか、「闇はわたしの こころのすみか」(『犬を捨てに行く』)という意味での「闇」。「暗がり」、くらいの言葉でもいいかもしれない。)

闇の言葉は「惹きつける」ということができない。そもそも1対多数のコミュニケーションの場では、受け手のテンションを高めなければ、本当に何も伝わらなくなってしまう恐れがある。語り手に迷いのあるトークを聞いて、誰が面白かった、誰が参加してよかったと思うのだろう。コストを払って参加しているひとたちは、すでに何かを期待している。受け取り手として。それに応えることが何よりも優先される。されてしまう。

……という文章を書きかけたあとで谷山浩子さんのコンサートに行ったのですが、そこでは「光」だけではなく「闇」をも暖かく包み込む空間が存在していて、しみじみ感動しました。こういう空間を作りたいのだけれど、とても作れるとは思えない。どうすればいいんだろう。