アンチロールモデルとしての坂本真理、あるいは走り続けること

メモ。

今までのところ、あまりロールモデル・参照項として機能していた人はいないような気がする。それよりもフィクションの影響の方が大きい。特に新井素子

ひとめあなたに…』では、坂本真理の影響が強かったと思う。あと一週間で世界が滅びる、というときに、あるはずのない受験のために、世界史の暗記を黙々と続ける少女。彼女にとって、もともと受験とは何の意味もなく(両親に対する復讐、と作中で語ってはいるが、それすらもおそらく本心から出ている言葉ではなく、あえて意味らしきものを持たせるためにでっちあげた飾り物のような印象が強い)、しかし人生そのものすらも特に意味があるわけではない(新井素子作品において、人生の無意味さは頻出のモチーフ)。彼女の存在は、そして彼女のような存在を描く新井素子は、やはり言葉にしがたいほどの影響を受けた、と思う。なんせ最初に読んだのは中学生のころで、そのうち人生最初の受験勉強をしないと、と思っていたころだったし。けれど坂本真理を認めたことはなかった。受け入れられなかったのは、彼女は世界の滅亡を希求していたこと、その一点。坂本真理にとって、無目的のまま、目的が与えられなくなっても生き続けることは苦痛だった。だからこその「あたし、幸せなの」の台詞が出てきた。要するに坂本真理は失敗したのだ。彼女のやり方では駄目だった。当然のことながら、自分は失敗したくなかった。だから坂本真理を受け入れることは絶対に許されない。彼女とは違うやり方で、持続可能な手段と目的を持って、走り続けることを受け入れつつ、走り続けていく。そういう意味で、坂本真理はロールモデルというより、アンチロールモデルとして機能していた。進学するとき、就職するとき、会社が変わったとき、様々な人生の分岐点で、坂本真理のことを意識していたような気がする。走り続けていけるように。

ひとめあなたに… (創元SF文庫)

ひとめあなたに… (創元SF文庫)

自分にとっては、世界はいつでも滅亡一週間前だったのかもしれない。常に更新され続ける「滅亡」の一週間前。それでもいつものように勉強をし、仕事をし、それ以外のこともし続けるのだろう。けれども、決して滅亡を期待することなく。そしてこれからも。

アンチロールモデルって、日本語では「反面教師」がぴったりかも。