鈴木祥子、あるいはその傍らで人生を重ねていくこと

鈴木祥子のアルバム『SHO-CO-SONGS COLLECTION 2』を買った。

SHO-CO-SONGS collection 2(DVD付)

SHO-CO-SONGS collection 2(DVD付)


鈴木祥子は高校の頃から聴いている。かれこれ20年近く。

ねえ、どうして手を離すの?
いつまでも ここにいるって言ってたのに
ねえ、誰か教えてよ?
大事なものは なぜいつもなくなるの?

一時期聴かなかった時期もあるのだけれど、これだけ長く聴いていると、愛着の度合いも深い。しかも、祥子さんは音楽と人生が切っても切れないというか、非常に深いところで結びついているかのように曲を作り、歌う。ので、彼女の曲を聴き続ける、ということは、彼女の傍らで人生を過ごしている、という錯覚をおこさせてくれる。もちろんそれは完全に非対称な関係で、彼女は彼女のファンの人生など知るはずもないんだけどね。

幸い、祥子さんは私よりも年上なので、私の人生の先輩でもある。しかも、遠くから見ていると、極めて波乱に満ちた、七転八倒の人生にしか見えない。音楽の趣向もよく変わるし、メジャーからインディーズっぽくなったらいつの間にか京都に引っ越したと思ったらまた東京に戻って来てて、気がついたらメジャーレーベルからまたアルバムが出てたりするし。そんな、生々しくもまぶしい、一人の人間の生き方、と切っても切り離せない音楽、しかもその時代々々に変遷し様々な魅力を放つ音楽、を作りながら生きていく人生の先輩の背中を見ながら生きていけることは、私にとってはたいへん大きなよろこびなのだった。って、一言でいうと「危なっかしくて目が離せないけど素敵な先輩」ということかも。

そんな、リアルな生き様を感じさせてくれる、というのも、彼女の音楽の魅力とはまた違った意味で、魅力なのだった。同じ人の音楽を20年聴き続ける、ということは、そんなたのしみを味わうことでもある。


私が30代になる前後、祥子さんがどこかで「30代は後半の方が面白い」と言っていた。そうなんだー、へー、じゃあ頑張って30代の後半まで生きてみるか面白いといいな、と思っていた。

で、いざ自分が30代の後半になってみると。いや、確かに面白い。面白いけど、面白すぎて死にたくなったり殺されたくなったりするくらいに面白い、というかなんというか。そのくらいにヘビーで、だからこそ、だけれども面白い。しんどいけど。

しかしそんな私に向かって、40代になった祥子さんは、『まだ30代の女』なんていう素晴らしい曲を歌うのだった。

まだ30代の女は、アリバイが欲しかった
まだ自分が女だと思える時間が

なんぎや ほんまに
なんぎや ほんまに

まだ30代の女は、知るすべもなかった
そして40を越えたとき、はじめて 識った

そうか、そうだよね、40代まで生きないといけないんだよね。生きないとね。

そしてそれからまたしばらくすれば、50代の女の生き方を、祥子さんは歌にして教えてくれるに違いない。それは今からたのしみ。それがあれば、もうしばらく生きていけそうな気がする。


話は変わるけど、この「SHO-CO-SONGS collection」シリーズの面白いところは、当時のアルバムを制作したディレクターのインタビューが載っていることだった。
ディレクターといえども、当然ながら最初から、実績もあれば実力もあるディレクターなのではない。ので、担当するアーティストをどうやって売り出せばよいか、どういう風にアルバムを制作すればよいか、試行錯誤したり悩んだり賭けをしてみたりしているのだった。

ふつう、POPな音楽の場合、作り手のインタビューに出て来るのは、歌い手や作詞作曲編曲のような、表に出ている人のことが多い。音楽誌などで提供されるのはたいていそのような情報だけだ。そんな中、裏方役であるディレクターが、どのようなことを考えながら音楽を制作しているのかを語っている資料として、たいへん興味深く読んだ。いいですね、こういうの。他にも読んでみたいと思った。