代わりに語る・語られる、ということ

角谷さんのRubyKaigi記事について。

http://gihyo.jp/news/report/01/rubykaigi2008/0003

以前、(現在角谷さんのインタビュー記事が絶賛公開中の)「Webエンジニア武勇伝」で、「日本でまつもとさんに代わってRubyについて語る役を引き受ける」ことの困難についてちょっとしゃべりましたが、とうとう自分が代わりに語ってもらう立場になったのだなあ、としみじみ思いました。

もちろん、語りの中心は「運営委員長」である角谷さんからみたRubyKaigiなんですけど、立場的に実行委員会や、その代表という役割である私のことも代弁してもらっているので。

代弁されたことについては、私だったらもうちょっと違った形で言えるかも、と思ったり、いやこういう風に語るのはうまいよね、とちょっと嫉妬したりと、たいへん面白い体験でした。まつもとさんも、私や他の人が「Rubyは○○だ」みたいな感じでRubyについて語っているのを聞いたり読んだりするのはこんな感覚なのかなあ、とも思ったりしました。