濱野智史「なぜKは「2ちゃんねる」ではなく「Mega-View」に書き込んだのか?」(『アキハバラ発』所収)

アキハバラ発―〈00年代〉への問い

アキハバラ発―〈00年代〉への問い

アーキテクチャの生態系』の人の書いた文章です。

なんか他の方の発言はポジショントークというか、事件に寄せていつもの自分の得意な話を書いている感が強いものでした。いや、それはそれで面白いものもありましたが(東浩紀インタビューは、何だか湾岸戦争の時の高橋源一郎を彷彿とさせて面白かったりとか)。
その中で、濱野さんの文章は、犯人Kが書いたのが2ちゃんねるではなくMega-Viewだったのはなぜか、という、一見些細な、というよりは重箱の隅のような疑問から論をおこしていきます。そしてそこで示されたのは、2ちゃんねるという「ネタ的なコミュニケーション」の場と、そこに〈包摂〉されずにいた犯人Kの孤独の姿でした。

2ちゃんねらーたちは、Kの事件が起きた後も、今日も快調に
くだらない「ネタ」で笑いあっている。
(略)
多くの2ちゃんねらーたちにとって、Kは「英雄」でもなければ
「神」でもない。ただの「ネタ」なのだ。

Kのような人間は2ちゃんねるにいっぱいおり、彼らは不遇をネタ的コミュニケーションによって解消している。しかし、Kにはそれができなかった。そして行き着いたMega-Viewでも安住することができず、結果、実世界で最悪の形で暴発することになってしまった。むしろ、2ちゃんねらーニコ厨的な、ネタ的コミュニケーションによって不満を解消できる2ちゃんねらーが「敵」として認識されていたのではないか。

筆者はそのように分析をし、さらにその上で、「ここから先の文章は、ほとんど筆者の個人的な「思い」の域を出るものではないが」と留保を置きながら、「思い」を吐露します。Kの悩んでいた諸問題は、ある意味ではどこにでもある一般的な悩みであり、VIPPERたちはそのような悩みを、自虐的なネタ的コミュニケーションによって解消している。もし、そのような形で、2ちゃんねらーたちとともに、Kも悩みを解消することができたのであれば……

もしかしたら、Kには、あのような事件を引き起こすことなく、
その輪のなかで笑っていた「別の人生」もありえたかもしれない
からだ。もしKに何がしか「共感」しうるものがあるとすれば、
それはその「もしかしたら」の姿なのである。

あの事件について書かれた文章の中で、一番心に残るものでした。あの事件に思うところのある方には、一読を勧めたいです。

『実践Rails』がすごすぎる件

http://d.hatena.ne.jp/takahashim/20081101#p2
↑これを書いたときにはまだぱらぱらと見てただけなんですが、この本、ちょっとおかしいです(ほめ言葉)。

なんせ第1章の5ページめ、「1.2 Rubyの基礎」として「1.2.1 クラスとモジュール」でクラスの話をひとくさりした後、「1.2.2 メソッド参照」に入るわけですが、ここで「最も簡単な方法は、Rubyが内部で作成するデータ構造を視覚化することだ。」と言い放ち、

  • klass
  • iv_tbl
  • flags
  • m_tbl
  • super

とかの説明をし始めるわけですよ。

……いやそれ、Rubyインタプリタのソース読まないと分からないから! 「簡単な方法」じゃないよ! これRailsの本だよね?!

そう突っ込んでしまいそうになるのも気にせず、その後はクラスとモジュールの継承の話が続き、メタクラスがどうしたとかアイゲンクラスがどうしたという話になり、そして_whyのMetaidを使えばレシーバの特異クラスが簡単に取り出せて便利だよ! とか説明をしはじめ、最後の1.5.2ではRouteのコード書き換えについてざっくり説明してくれます。さらに「1.6 参考文献」では、なぜか最初に『Rubyソースコード完全解説』が参考文献として載っているのでした。なんで日本でしか出てない本が、翻訳書の参考文献になるんだ……。

続く第2章ではActiveSupportの話が続き、最後にRailTiesに若干触れ、ようやく第3章のプラグインからやっとRailsらしい話が出て来るという、やりすぎ感あふれる展開です。

最近Railsを始めました、という人とか、ある程度の規模のプログラミングはまだあんまり、という人にはどう勧めればいいのかよく分かりませんが、今までのRails本ではちょっと満足できなくて……という人にはお勧めできそうな気がします。