DAICON7

こと、第47回日本SF大会に行ってきました。今年は大阪は岸和田市

http://www.daicon7.jp/

思ったことをいくつか。

  • 本屋パネルで「サーバと回線費が高い」というのがあったけど、こちらは比較的近い将来、価格が下がる(暴落する)可能性もあるので、そうするとまたいろいろと変わってくるかなあと。
  • 検索システムの作成で「インデックスがたいへん」とかいう話があったけど、こちらも今はそんなに問題ではないはず。ただ、書店の場合、おそらく書誌情報と在庫管理をちゃんと組むのと、それをWebにつなぐ(そして検索可能にさせる)のが大変そう、とかいうのはあるかも。まあでも本部で各店舗の在庫を管理できるんならそれくらいできてもおかしくないわけで。
  • サイエンスイマジネーション企画は瀬名さん他による『サイエンスイマジネーション』の話。とにかく本は面白そう、というのはわかったのでさっそく買ってみた(で、ちょっと読んだらやっぱり面白い)。
  • あとでちょっと寄ったSF大会開催方法教えます企画はいろいろ参考になった。
    • SF大会は20年前に比べ圧倒的に開催しやすくなった(開催のための人的コストが減った)」
    • 参加者数に対して、当日スタッフは1/10、そのうちそれ以前からのスタッフはさらに1/10が目安
    • 企画スタッフを除く、純粋に事務的なスタッフは3人くらいでできる
    • 合宿型の場合は参加者のスキルが明らかに上がる(笑) 参加者が運営に協力してくれる=運営に協力する・できるひとの比率が上がる
    • 現在は一応毎年持ち回りで開催しているが、実はスタッフはかぶっている
    • ↑これが可能になったのはネット等の発達のおかげ。どこでやっても同じスタッフが活動できる
  • 出版社サイト企画は、基本的にどこもサイト自体で収益を上げるモデルではなく、宣伝媒体としてしか期待しない・できない、という方向っぽい。そもそも自社サイトでばんばん売り上げを上げてしまうと取次と書店との関係が悪くなる、というのはなるほど。
  • 新井素子さん・眉村卓さんによる『モトコの碁』では、連載の話を掘り下げた感じ。
    • 囲碁を見てると対戦者の考えてることがわかる、とか。
    • 素子さんは相当囲碁に関わってるっぽい。この様子だと、あるいは長期的には作品にも影響が出てくるんじゃないかなあ、と思いました。
    • 素子さんは書き下ろし長編は書いてはいるらしい。何度も書き直してるみたいですが。ま、よい作品さえ最終的に出来上がっていただければいつまでも待ちます。はい。
  • 日本SF全集企画は着々と進行中、とのこと。昔話とかエピソードとか。会場では中身が白紙の見本が回覧されてました。
  • 海外SF翻訳家企画はなぜか70年代がリバイバルの話。『エンジン・サマー』はそんなにすぐには出ないそう。ハロサマの続編は翻訳が決まったっぽい?
  • 星雲賞浦沢直樹さんが授賞に来られていたのが一番盛り上がってたぽい。授賞式での「初音ミクさまは欠席のため」とかいう司会者トークは受けた。

IT系(特にオープンソース系)イベントとの比較

わりと雑感。

電源や無線LANのなさに絶望しそうになったけど、ノートPCを持ち出す人の数もめちゃめちゃ少なかった(<プログラマ系のイベントに比べて)ので、これはいたしかたないのか。というか、SF大会でもこれなら他の一般イベントはもっとアレなのか……。

ustとかIRC/twitter/wassr中継すればいいのに、とか思ったけど、そもそも企画自体がオフレコっぽい発言を含むものが普通にあるので、ちょっと難しそう。
というような話をtwitterでしてたら、id:hyoshiokさんがちょっと応答してくれた。で、おそらく吉岡さんは「情報交換のためのコミュニティはオープン志向にした方がよい/オープンにできないものは持ち込まない方がよい」、というスタンスで、私もオープンソース系の活動についてはそう思うんだけど、よくも悪くもSF系コミュニティ活動ではそれはそぐわないっぽい、ような気もする。
とりあえず思ったのは、クリエイティブな世界は、数少ない、限られた才能を持つ人がジャンルそのものの原動力になったりすることもある中で、ほとんどゴシップみたいなものがジャンル全体で共有したい成果物と切り離せないようなことになってしまうのかなあと。あと、ネットワークが双方向のメディアになりうるのは、みんながネットワークに平等に参加できる前提があってこそのことで、そうじゃない場合、ある人はいつでもなんでも情報を流せるけど、別の人は情報が流れていることすらほとんど知りえないような状況になりかねないという、暴力的な装置になりかねないかな、と。そういうところでは、オープンソース的な「何でも公開することによるガバナンス」という、(essaさんとかが好きそうな・私も好きな)管理統括手法がいまいち有効ではなくなってしまうよね、ということに改めて気づかされました。難しい。