黒澤亜里子『逆光の智恵子抄』

逆光の智恵子抄―愛の伝説に封印された発狂の真実 (女性文庫)

逆光の智恵子抄―愛の伝説に封印された発狂の真実 (女性文庫)

ああ、画像がない! まあ仕方ないか。古いし。でも、中身はすごい本でした。

智恵子抄』は高村光太郎高村智恵子の「愛の詩集」みたいな位置づけになっていますが、それが実は表向きの解釈でしかなく、実際には西洋的近代に翻弄され、かろうじて抗うことができた男と、それに抗いきれず、敗れ、次第に追い詰められていき、ついには壊れてしまう女の悲劇を封印するべく書かれた作品であった、と位置づけています。

この本の中での智恵子は『智恵子抄』の中で描かれる、だんだんきれいになったりあどけなかったり風にのったりする智恵子とはぜんぜん似ていません。田舎の秀才で、日本で初めての女子のための最高教育機関である日本女子大学校普通予科に進学、そして新進女性画家として『青鞜』にも参加したりするような、「新しい女」として描かれています。しかしながら、画家としても行き詰まりの中にあり、それを「回避」するような形で光太郎と結婚(事実婚で籍は入れてなかったらしい。この時代に)。それ以降、画家として表舞台に出ることはなくなってしまいました。

そのような智恵子の一生を、著者は大胆な推測を織り交ぜながら、発狂し死に至るところまで丹念に追い続けるわけですが、とりわけ意外に感じたのが智恵子の書いた文章。この本で引用される智恵子の文章は、光太郎から見た智恵子像である『智恵子抄』の印象とは全然ちがいます。実家が傾き始めたころに母親に送った書簡ではこんな感じ。

米山の二百株なんて馬鹿な事すると大事ですよ。あれ程新聞にもサギの会社の事が出てゐるのに恐ろしくないのでせうか。
二本松の株はその後どうしたのです。はふって置いてはまた半年分利子がふえるでせう。心配してゐます。あれからどうしたのですか。

土地の方はなる丈早くおきめなさい(油やの土地付ならそれはセン名義にしてお置きなさいよ)

そしてついに実家が破産し、金銭トラブルにも巻き込まれた智恵子が、発狂の徴候が出る直前に書いた書簡の文章は悲痛です。

私もこの夏やります。やります。そしていつでも満足して死ねる程毎日仕事をやりぬいて、それで金もとれる道をひらきます。かあさん決して決して悲しく考へてはなりません。私は勇気が百倍しましたよ。やつてやつて、汗みどろになつて一夏仕事をまとめて世の中へ出します。悲しい処ではない。そしてそれが自分の為であり、かあさん達の為にもなるのです。金を自分の手でとれるやうになって、かあさんが困らないやうになつたら、ああどんなに愉快でせう。やるとも、やりますとも。よろこび勇んで、本当に死力をつくします。

結婚してから一切展覧会などに絵を出すことのなかった智恵子にとって、このような決意は土台無理なものでしかなかったのでしょう。その後、結局何一つ仕事をまとめて金にしたりすることができなかった智恵子の生涯を思うと読むのが苦しくなる一文です。

読後感は重く、またいろんな意味で読みやすいとはいえないのですが、もっと広く読まれてもいい本だと思いました。フェミニズム、そして日本における近代の受容に興味のある方には特におすすめ。

余談ですが、単行本あとがきの「多忙な時間を割いて生原稿に目を通し、忌憚のない意見を聞かせてくれた畏友小倉千加子」という一節にはちょっと驚きました。調べてみたら二人は同い年だそうで。