いつかひまになる日まで

そうか、わかった。だからあたし、ひまにあこがれるんだ。本当にヒマな人生歩む気なら、Rubyの原稿をどうさばくかなんて考えなきゃいいんだもの。でも、どうしてもどこかで一山あてて、南の島でひまひまな生活おくることが許せないから――ひましてちゃいけないと思うから、余計、それにあこがれるんだわ。こんな所じゃなくて、あったかい南の島に行きたいなって思いつつ、それでもなお、お仕事の方選んじゃって。あたしって莫迦ねって、自分で判りながらも。いいや、この原稿あげたら、いつか南の島へ行こうなんて思って。決してなくなる仕事じゃないって知ってるくせに。
だから、いつまでもあたしは歩き続ける。終着点がこなくても。決してひまひまになれる日がこなくても。いつかひまになる日まで。その日がこないこと知ってても、夢だから。
いつかひまになる日まで。

新井素子さんにはとてつもなく虚無的なところがあります。中井英夫が「反宇宙」と呼ぶような世界こそが「宇宙」であり、それ以外の「宇宙」など一切ない、という認識が素子さんの根底にあるような気がします。だからこそ、素子さんの小説のキャラクターは、みなモラリスティックに振舞いがちなのでしょう。それは抱え込んでしまった虚無の深さの反作用なのですから。