Rubyist Magazine 17号

http://jp.rubyist.net/magazine/?0017

今号は巻頭言に加えて変な写真が写っています。

http://jp.rubyist.net/magazine/?0017-ForeWord

巻頭言は私の中の矛盾した気持ちをそのまま書いたので、訳が分からないかもしれません。
このネタ自体は、某日経ソフトウェアのコミュニティ特集で、Rubyの会が載っているのにruby-dev MLが載っていなかったことに(そしてそれが至極当然なものであると気づいたことに)愕然というか絶望して、いつか書かないと、と思っていたものです。きっかけを与えてくれた日経ソフトウェアに、ささやかな感謝を。

新田次郎『富士山頂』はエンジニアとPMにおすすめ

富士山頂 (文春文庫)

富士山頂 (文春文庫)

昨日まで会社の開発合宿研修で富士吉田市にいました(と書くとまるで行かされたみたいですが、ほとんど私の方でプランニングしてました)。で、ついでに富士山レーダードーム館を見に行ったところ、あまりのやばさに感動したので、このプロジェクトについて書かれたこの本を買って読んでみました。この本もやばいです。おすすめ。

新田次郎は本名を藤原寛人と言い、藤原てい(『流れる星は生きている』)の夫だったり、藤原正彦(『心は孤独な数学者』『国家の品格』)の父だったりするのでも有名である一方、作家になる以前から気象庁の役人として働いていました。若いころは富士山の測候所勤務もしてたりします。そんな彼の気象庁での最大の仕事であったのが、この富士山レーダーのプロジェクト。富士山に山頂にレーダーを設置し、台風の位置と進路を観測できるようにする、というものでした。彼はこのプロジェクトの責任者となり、レーダーを完成させた後まもなく気象庁を辞し、専業作家になります。

富士山レーダーの話からは、つくづく日本のプロジェクトマネジメントは努力・根性・勇気で運用され、成功すれば美談で飾る、という仕組みになっているのがたいへん良く分かります。が、この本ではもうちょっと多面的な見方も提供しているのが重要。要するに新田次郎というのは完全にプロジェクトマネージャーのスタンスで、しかも技術屋っぽい立ち位置だったみたいですね。エンジニア向けな書きっぷりには、谷甲州が心酔するのもとっても納得です。

プロジェクトマネジメント好きには文庫版140ページにPERTが出てくるのに注目。この頃(1964年)には日本でもPERT図はあったみたいですね。PERTが出てきたのが1950年代終わりごろのアメリカらしいので、日本では早期の導入例の一つなのかもしれません。

個人的には、文庫版93ページ、レーダーを受注しようとする業者が、別案件で納める機械の検査の場で大失敗をしてしまい、それまで強気だった技術担当重役の高原が「私も、もともとは技術屋です。(略)富士山だから、いままではなにを措いてもやりたかったのですが、いま私は、富士山だからこそ、うちでは辞退した方がいいのではないかと考えています」と言ってきっぱり引き下がるところが印象に残っています。

三角みづ紀『カナシヤル』

三角みづ紀の新作が出ていた。ので、買った。

カナシヤル (新しい詩人)

カナシヤル (新しい詩人)

膿んだ傷口
揺れるカーテン
頭からコンクリートに飛び込むその衝撃
窓は放たれて
湿りゆく瞼
コップ一杯の水をください
奇妙なことに
数式は成立しているのだ
いつのまにか
助けて
が
口癖に成っていた
一定の距離は
一定のまま
笑ってる
笑ってる
痛いよ
(「発症」より後半抜粋)

前作よりは息苦しさが減ったような気もします。とはいえ、読みやすいわけではないのですが。私とはぜんぜん違うところにある、ぜんぜん違うことばでできているのですが、私にはなぜかしっくりとくるのでした。