人生はGTDじゃない、のだと思う
メモ。
仕事とかお仕事とかのTODOリストを作っていて、プライベートまで忙しくなってくると、プライベートもタスク管理をしないといけない気分になっていくるのだけれど、同時にそれはとてもよろしくないことのように思う。
例えばあらかじめ人生でやりたいことを列挙して、それが全部クリアできたとして、そんな生は何か面白いのだろうか。生きる価値とか意味とか意義とかたのしみとかがあるのだろうか。「水のような心」を得たところでそれが人生に必要なことだろうか。「生産性」とやらが増したとして、それは生を計る何かしらの基準になりうると本当に思えることがあるのだろうか。
水のような心を持って、創造的なエネルギーを出しまくりな生き方よりも、わけのわからないことが次から次へと降ってきて、それを避けたり頭から突っ込んだり、ぜんぜん関係のないところに魂の赴くままに寄り道したり脱線したり、そうして波乱に富みつつもなるようになっていく生き方の方が断然よいはずだと確信している。
あたしはきっとこれからも弱いだろうけれど。 でも自分の力で進んでいくから。 『世の中何が起きるかわからない』 ……誰かがそう言っていた、この現実の世界。 あたしは、生きていく。 生きていくのだ。 ――浩祥まきこ『ささやかな奇跡』(『やさしい雨』所収)より